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『光と時間』展 ベイスギャラリー 東京 2005年

  市村しげの展によせて - ジュディス・ペイジ

 

「精密さが美を定義する」 ― ダイアン・ワコウスキー

 

市村しげのの絵画作品は、息を呑むほどに精密で、かつ極めて瞑想的な制作過程を経て生み出される。その制作過程とは、〈シルバー・モノクローム・ペインティング〉のシリーズにおいては、秩序、全宇宙的な構造、明晰な精神、といった言葉を想起させるものであり、一方〈ラスト・ペインティング(錆の絵画)〉においては、混沌、退廃の進行、直観力、といった連想を呼び起こすものである。別の言い方をするなら、市村はこれらの作品を通じて、彼独自の雄弁なやり方で、存在そのもののジレンマを表現しようとしているのだ。この宇宙の中で私たちの居場所は一体どこにあるのか? 私たちはひとつなのか?――ひとつの巨大な、スムーズに実行される計算式のようなものなのだろうか? あるいは、制御不能な狂騒そのものなのか?――月に向かって遠吠えする、獣の群れのようなものにすぎないのだろうか?

市村がこの二分論をこれほどまでに深く表現できるのは、彼自身のバックグラウンドによるところが大きいのかもしれない。市村しげのは沖縄に生まれ、東京で育ち、1988年に独協大学の法学部を卒業している。1989年、アートに対する情熱が彼を突き動かし、東京での安定した会社員生活を捨ててニューヨークへと向かわせた。自分の思いのままに、アーティストとして生きるという「自由」を追い求めて。彼が初期に制作した絵画の一群は〈Horizon(水平線)〉と名付けられている。キャンバスには微妙な色調の薄い絵具が施され、砂粒や石がその表面に貼り付けられている。これらの初期の作品は、ニューヨーク・スクールのペインターたちから強く影響を受けている。例えばマーク・ロスコから――特にその色面絵画の崇高な美しさから――あるいはジャクソン・ポロックから――特に砂や路上の瓦礫をキャンバスにばらまいたその代表的な作品群から。市村が〈Horizon〉のシリーズで確立した視覚言語は、1996年から取り組むようになる〈シルバー・モノクローム〉と、1997年に始まる〈ラスト・ペインティング〉において、より洗練され、拡張されていくことになる。

これらの二つの作品群においては、市村の視覚言語のボキャブラリーの中でも特筆すべきいくつかの特徴が、優れてはっきりとした形で示されている。すなわち、画面構成と色彩の適用における精密さと偶然性との混在。現代性と古さとを兼ね備えたフォルムと表面。小宇宙と大宇宙との連関(点の集合や複数のキャンバスが「全体」をつくり出すといった意味において)。衰退と再生のプロセスに対する強い関心。科学法則の暗示(物質の構成要素としての原子、視覚の物理的プロセス、宇宙の存在原理としての光、現実の構成概念としての時間)。そして、知識と直観とはいずれも集積しまた伝達することができるのだという彼自身の信念(この信念は、〈World(世界)〉と題された作品において実に壮大に表現されている)。

 

 

「一粒の砂に世界を、野に咲く花に天界を見る。手のひらには無限を、時の中に永遠を掴む」―    ウィリアム・ブレイク

 

〈シルバー・モノクローム〉のシリーズの背景について、市村は次のように語っている。

「私は、人々はものを見るときに何を感じるのかということ、また〈個対個〉〈個対多数〉といった関係性に関心があります」

 これらのコンセプトを表現するために、市村は視覚認識の物理的メカニズムをメタファーとして用いている。私たちが外界の物体を「見る」というとき、その物体のイメージは、一部分一部分を逐一移し変える「点対応」の方式で、網膜上に構築される。ちょうどコンピュータの画面上にドットで画像がつくり出されるのと同じように。そうして生み出された画像は、視神経を通じて脳に伝達され、そこではじめて認識のプロセスが稼動する。市村は、同じような「点対応」の手法によって〈シルバー・モノクローム〉の絵画を制作する。ひとつひとつの点が画面上に注意深く配置され、ある形を構築する。それからその画面全体がメタリック・シルバーの工業用塗料によって覆い尽くされる。シルバーの塗料を用いるのは、光を強く反射する表面の効果を得るためだ。市村がこのシリーズの作品において到達点として設定しているのは、点(ドット)と銀色の塗料を用いることにより、「個と光が内包する全体性」をシンボライズするということだ。

〈シルバー・モノクローム〉の絵画で描き出される形態は、円形(〈グローブ〉〈オフ・センター〉〈反射#3〉〈反射#8〉)から、工業的あるいは有機的なパターン(〈反射〉〈反射#7〉〈反射#4〉〈反射#2〉)、さらには明確な形を持たず、自然界の様々な力を暗示するような広がり(〈ミスト#3〉〈光のフィールド〉)まで、様々である。このシリーズの作品の強さは、多義的な解釈が可能なところにある。これらの画面に、私たちは、例えば複雑に入り組んだマンダラを見るかもしれないし、周極星の光跡を見ることもできる。モザイク模様の床を、イカット織の布を、窓に吹き寄せた波の花を、新石器時代の岩の彫刻を、蜂の巣の内部を、星空を、地震計の記録を、きらきらと光るクモの巣を、あるいは目の虹彩を見いだすかもしれない。点の集積によって生み出される形は、アーティストの手と、見る者のイマジネーションのほかに、何ひとつ制約を受けることはないのだ。

 

 

「芸術家は自らの魂の中にその筆をひたし、自らの本質をその絵の中に描き出す」―    ヘンリー・ウォード・ビーチャー

 

〈ラスト・ペインティング〉は、〈シルバー・モノクローム〉とは正反対の手法によって制作される。まず酸化鉄の混合物がキャンバス全体に下地塗りされる。そしてその上から、「インスタント・ラスト」と呼ばれるメディウムが、あるときは希釈されて、またあるときは濃いままで、塗りつけられるのだ。これはダンスの振付にも似たプロセスで、ジャクソン・ポロックの絵画制作と同様、その「瞬間」、そのときどきの筆さばきの慎重さや大胆さによって結果が左右される。ぼんやりしたイメージやフォルムが、「インスタント・ラスト」の濃度の違い、そして予測不可能な腐食の作用によって浮かび上がってくる。〈ラスト・ペインティング〉を見るという視覚体験は、自由連想にも似ている。そこには結論はなく、ただ様々な感覚が呼び起こされるだけだ。

一点一点の作品を取り出してみれば、それは決して多くを語ろうとはしない――川底に沈む、古代ローマ遺跡の錆び付いた鉄製の用水路のように、あるいは酸化鉄の釉薬をかけた陶器の茶碗の表面のように、またあるいは打ち捨てられた自動車の腹部のように。しかし、複数のキャンバスの集合体として提示されると、それはまるで一巻の不朽の年代記のように見えてくるのだ。ひとつひとつの作品は人間性の歴史の一章であるかのように――生存と超越の物語の一話であるかのように。

〈シルバー・モノクローム〉は外的な自己であり、〈ラスト・ペインティング〉は内的な自己である、と市村は表明している。そのように特徴付けることにより、彼は、宇宙全体の不安――秩序への努力と混沌への衝動――の反映として個人が抱える存在の不安を、果敢にも描き出そうとしているのだ。これら二つの絵画群を制作することは、とてつもない意志に支えられた行為だ。絵画の創造を通して、市村は神話の領域の入り口に立っている。温かく肥沃な大地に両足を踏みしめ、銀色に輝く月に向かって両腕を差し伸べながら。

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